■「竹縄(たかなわ)のさと」
詳細
1979年/36分/
埼玉県秩父郡東秩父村御堂荻平
文部省選定
(作品解説)
東秩父村は秩父山地の東側にある集落で、昭和20年代まで盛んに竹縄が作られていた。その経験者、関根ヒロさんと若林チョウさんを中心に、萩平の人々によって行われた竹縄作りと、その多様な利用法の記録である。
竹縄は丈夫で弾力性にとみ、また水に強い。東秩父村で作られた竹痛は、東北地方南部一帯から関東地方一円にかけて用いられてきた。竹縄にはマダケとハチクを用いる。萩平の人々は、米のとぎ汁や煮た大豆をまいて竹林を大切に育ててきた。竹伐り旬(最も適した竹が得られる期間)は、7月末から8月初めに3日間ほどしかない。この間に新子(その年に生えた竹)を伐り、火にあぶって油抜きをし、細く小割りにする。そして乾かして、秋まで火棚の上や屋根裏に保存する。
縄にする作業は秋から翌年春までの農閑期に行う。沢の水をせきとめて作った竹シテ場に、小割りした竹を1週間漬けて柔らかくする。
柔らかくなった竹の表皮を剥ぐ。次に「竹ヘギ」、肉質部を0.5㎜ぐらぃに薄く剥ぐ。肉の厚い竹で12枚、薄いもので6枚くらいに剥ぐ。「縄縒り」、縒りをかけながら長くつないでいく。縒った縄はクモデに巻きとる。「縄ブチ」、クモデを使って縒った縄をさらに3本縒りにする。そして、縒りかけ機で縒りをしめ、「コスリ」をして縄目をつぶす。
竹縄には、その特徴を生かしてさまざまな利用法があった。屋根材や蚕棚の結束、井戸の釣瓶縄、足洗い下駄の鼻緒、自在鉤の結束、牛馬のくつわ、まつりの山車の土台の結束などである。また秩父地方では、死者の棺をになうとき、必ず竹縄を1本使わなければならないとされていた。
秩父の山村の人々にとって、竹縄は日常生活になくてはならないものであると同時に、生活の糧を得る重要な手段でもあった。